1)― 2)Il Ratto di Sabina「サビナの略奪」

ジャンボローニャの1574年ごろの作品で 巨大な大理石の一本彫り。

後期ルネッサンスの大傑作で、フィレンツェのシニョリア広場に面した式典の場である

ロッジャ・デイ・ランツィの中に 16世紀の完成当時から設置されており、

メディチ家が収集した同式場に置かれている周囲の古代ローマ時代の彫刻群と堂々と肩を並べている。

これらの作品群と設置の仕方に ルネッサンス発祥の地であるフィレンツェにおける

その当時の思想を省みることができる。 

14世紀後半以降 ウマニストと(註)呼ばれ、古代ギリシャおよびローマ時代の

優れた文学および芸術作品を研究する知識人たちが フィレンツェに多く傑出した。

彼らは 古代ギリシャ、ローマ時代の芸術作品に勝るとも劣らない優れた作品を

数多く生み出すため、自らの町の環境を整えて 作家や芸術家を支援し、自分たちの町をすばらしい芸術にあふれた町にしたいとの願望を抱いたのである。

共和制時代に生まれたこの思想は 共和制が形骸化してメディチ家が事実上支配するようになってからも 受け継がれた。

(註)ウマニスト(umanisto)英訳するとヒューマニスト、日本語では人文主義者と訳されていることが多い、もともとの意味は、古代ギリシャ、古代ローマの古典作品の

研究者を指した。

「サビナの略奪」

Sabinaは 紀元前に存在したローマ近郊の古い町だったが

当時 軍事力がたいへん強まった新興都市ローマに略奪されるという話。

Sabinaは打ち負かされる老人、ローマは逃げようとするSabinaの乙女を

捕まえる若い男として彫刻されている。

実はこの題名は彫刻が出来上がった後につけられている。

ジャンボローニャは 三体の異なる肉体を 上下左右どの視角から見ても完璧な作品を

創ることを目的としてこの作品を完成させた。 

この偉大な彫刻家はフィレンツェに多くの作品を残している。

それもそのはず、メディチ家のコジモ一世トスカーナ大公の大のお気に入り作家だった。その為、許可なしでトスカーナから出ることを 大公から禁じられていたとのことで

ジャン・ボローニャは これではかごの鳥同然と 大変嘆いていたというエピソードが残っている。 Mamma mia !     ジャンボローニャの作品群の多くは

フィレンツェのバルジェッロ美術館で見学できる。